「渋沢栄一に学ぶ社会貢献の生き方」
10月6日に「学びと感謝の希望財団」主催によるイベント、『渋沢栄一に学ぶ、社会貢献の生き方』を渋谷区千駄ヶ谷にあるSYDホールにて、オンラインと会場参加とののハイブリットで開催されました。当日は多くの方と共に私も参加してきました。
昨今、ウクライナやイスラエルなどでの紛争、世界的な自然災害など、これまででは考えられないことが多く、起こっています。この変化の時代、道徳や倫理観などの精神性、人と人のつながりの重要性がさらに高まっていると言えるのではないでしょうか。
同様な激動の時代の中、その精神性を高め、ひとのつながりを取り戻すため、自然から学ぶことの重要性を説き、明治に社会人教育を学生が主体となって修養団を設立した蓮沼門三氏、その修養団を生涯に渡り支援し、社会貢献活動にも尽力した近代日本資本主義の父と言われる渋沢栄一氏。そして、マネジメントの父であり、日本的経営、美術にも精通し、渋沢氏と同様に人生の後半は社会貢献活動に力を入れ続けたピーター・ドラッカー氏。
この3名が、それぞれが激動の時代、どんな生き方をし、どんな行動をし、そして、何を大切にしてきたのか、個性豊かな3名の登壇者の力をお借りし学んできました。
まず一人目は、修養団から“愛と汗“の理念のもと、青少年から社会人まで教育を実践する機会を全国で提供している公益財団法人専務理事・事務局長 真下淳一氏、二人目は、ものづくり大学教授であり、ピーター・ドラッカー学会 共同代表を務め、ピーター・ドラッカーの肝であるマネジメントや社会生態学の客観的な視点から、現実的で客観的な目線で、誰にもわかりやすい言葉で伝えてくださる井坂康志氏。三人目は講談師真打であり、平和を願いながら、「講談で日本を元気に!」をモットーに、自ら創作し講談に起こし、渋沢栄一の生涯を伝え続けている神田京子さん。
その学びは、学びと感謝の希望財団 代表理事の竹内美紀さんの挨拶から始まりました。
『自然の中で楽しく遊び、自然から学ぶことの大切さ、また、未来の子どもたちにその学びの機会を届けること、その自然環境を守ることが大事である。そのためにも、私たちが一つ目の人生のカーブである会社組織など働いてきた経験からスムーズに、二つの目のカーブ、セカンドカーブに移行することが大事であると。』
同じく同財団の理事である園田ばくさんが司会を担当。時に熱をこめて、時に登壇者の想い・願いを言葉にしながら、そのバトンを渡していきます。
そのバトンをまず受け取ったのは、修養団専務理事・事務局長である真下淳一氏。渋沢栄一に門を叩き、想いを語り、支援を受け、自然の中で青少年から社会人教育を主とする修養団を設立。そして、生涯に渡り支援を受け続けた蓮沼門三とはどんな人物だったのか、なぜ応援し続けられたのか、その核となる理念“愛と汗の精神”を伝え続けることの大切さ、また、社会に合わせ、その活動を継続することの重要性が語られました。
次にバトンが渡されたのは、ものづくり大学教授でもあり、ピーター・ドラッカー学会共同代表でもある井坂康志氏。ドラッカーは日本美術の“渋さ”を愛し、日本の経営者として渋沢栄一を認めた人物。その二人の共通点から説明が始まりました。どちらも過去に学び、できることに注力することを大事にし、2つ以上の活動領域で、人生を生きてきた。また、精神性の重要性を説き、世の中の変化に合わせ成長し続けた人物であると。そして、これから変化の時代、日本人は西洋と東洋の間をつなぐ大きな役割が高まると話してくださいました。
前半のアンカーのバトンを渡されたのは、講談師真打の神田京子さん。これまでの視点とは打って変わり、巧みな話術で、渋沢栄一の人生を共に映画を観るように、時に笑い、時に熱い想いに感動し、ともに旅するような時間に会場の雰囲気が変わっていきました。その中でも、渋沢栄一が生きた時代では、全てが便利ではない、国を移動するにも、常に目の前に現れる世界の国々の様に驚きながらも、真剣に向き合いつづけたことが、渋沢栄一という人物を作り上げたのだと。
最後に、司会の園田氏から、これから私たちが渋沢栄一から何を学び、そして、これからのセカンドカーブを通じて、何を自分自身の墓標に刻むのか、そんな問いで幕が降りました。
後半の懇親会は、修養団 福田さんの乾杯に始まり、登壇者3人との対話や参加していた学生さんからの登壇者との質疑応答など和やかに時間が過ぎていきました。
また、学びと感謝の希望財団の活動の中心の場所でもある北海道上川町から届いたサーモンも振る舞われ、参加者同士の交流が活発に行われました。
そして、懇親会最後の挨拶は、学びと感謝の希望財団理事 大谷真樹氏。
『これまで資本主義は好きではなかった。しかし、今回の皆さんの話を聞き、本来の資本主義の源は、“合本主義”であり、一部のものが搾取するのではなく、お互いに出資し、お互いに分け合うものが本物であると。私たちも支えながら、歩んでいきましょう。』
こんな言葉で締め括られました。
私が育った埼玉の行田の近く、私自身今も継承している“ささら獅子舞”を、深谷市血洗島に伝わるささら獅子舞を幼少期から携わり、晩年まで愛した渋沢栄一に何か、すごく縁を感じていました。
そんな渋沢栄一を3つの視点から知ることができたことは、人生のセカンドカーブに足を踏み入れている私にとって、とても有意義であり、豊かな時間となりました。改めて、貴重な機会をありがとうございました。
レポート: 吉田 真