2024年11月29日セカンドカーブ登山会 ヒマラヤ報告会開催レポート
セカンドカーブを生きる
自然そのものが人生を生きるための最高のガイド
ヒマラヤという地球の中で、最も宇宙にも近い場所。
2023年11月25日に決まったエベレストベースキャンプへの挑戦。
10人のメンバー各々の想いを胸に、その場所に足を踏み入れ、22日間かけて挑戦してきた。
そこには、Facebookの一人ひとりのレポートからは伝わらない。
想像を絶する人生ドラマが拡がっていた。
憧れのヒマラヤに想いを馳せ、日本から共にいたメンバーの一人として言葉にしてみたい。
【私のヒマラヤとの出逢い】
私のヒマラヤとの出会いは、登山家 戸高雅史さんとの富士山を一緒に登ったところから始まる。
それから、山との向き合い方、自然との向き合い方を共に過ごす中で学んできた。
そこには、いつもヒマラヤの世界がすごく身近にあった。
※登山家 戸高雅史さんの記事 呼吸がつなぐ「こころ」と「からだ」
https://masa-fos.com/wp/people/第五回 いのちの世界へ――-戸髙雅史/
『いつか行きたい。自分の目でその世界を見てみたい』
そんな想いが生まれたのは自然なことだった。
ただその時は無理だと思った。だから、ヒマラヤの世界に日本の中で一番近い場所。
戸高さんの力を借り、残雪の富士山に挑戦することだった。
その世界へ、実際に自分も足を踏み入れ、自然の凄さ、雄大さ、怖さを知った。
それから数年の間に、ヒマラヤへ行く機会が何度かあった。しかし、うまくタイミングが噛み合わない。
昨年、富士山でのばくさんとの出会いからヒマラヤの世界がグッと近くなった。
そして、3月行くことを決断。人生とは理不尽なもので、その2週間後、病が見つかる。
それでも8月まで諦めなかった。ただ客観的に自分のカラダと相談し、8月中旬、みんなに想いを託すことに。
その代わりに自分は自分の中にある山に登ることを決めた。
みんなが同じように挑戦するように、メンバーの活動記録に刺激を受けながら
【一人ひとりが目指す世界へ】
メンバーの中で最年少のフランさんが編集した動画が会場に流れる。
山への想いが込められたその映像の世界。みんなが一瞬でヒマラヤの世界に引き込まれる。
スクリーンに映し出されたヒマラヤという壮大な世界に、本当に一人ひとりが歩む姿を見ているだけで涙が込み上げてきた。
本当にみんなが1年前に挑戦すると決め、夢を現実にしている姿がそこにあった。
【ヒマラヤという世界】
たかたかさんの軽快な司会、
全体のルート、工程の説明から始まった。
二人目はやっさんこと一桝さんの報告からスタート。
笑いと実例を実に巧妙に、みんなを巻き込みながら話が進んでいく。
出発した成田空港は41m。そこから標高を稼ぎながら登っていく。
あっという間に気づけば、富士山の標高を越え、4000mの世界に。
ただ、それも言葉で言うより簡単ではない。
時に臨機応変に交通手段を変更、飛行機からヘリなどを活用しながら。
本当にその話からも簡単にいけない場所なんだということが伝わってくる。
そして、いつも笑いは忘れずに。
しほちゃんが両足つるという衝撃の出来事。
さらに、一番の私の衝撃は、今年の初めから雪山を教えてもらっていたやっさんの見たことない表情がそこにあったことだ。
どんなに厳しい環境でも笑顔で
充実していた姿のイメージしかなかったのに、そこにその笑顔はなかった。
この人誰だろうと思うほどの表情のやっさんの顔写真が。
失礼だと思いながら、爆笑してしまった。
それすら笑いに持っていくやっさんに憧れる。
一方で、富士山の標高を越えた4000mを超えた瞬間から別世界に。それだけ、厳しい世界。
丁寧に気をつけながら登ったとしても一瞬の油断で、体調に変化が出る環境なのだということが伝わってきた。
【5000mを超えた世界は宇宙】
三番目はすほこと、玉井さん。
4000mを超え、5000mの世界。それはさらに体調の変化、命の危機を感じるような世界。
またいつ変わってもおかしくない天気の中、不安と期待と共に向かったカラパタール、5644m。
そのついた場所は、空を見上げれば、綺麗すぎる星空が拡がっている。地球ではない、宇宙のような世界。
そして、奇跡的に無風で登頂。そこに行き着いたのは、10人中、5人のみ。
常に冷蔵庫の中にいるような世界。そこから離れたとき、太陽の暖かさに感激を覚えていたしほちゃんがいた。
そして、そこまでの道のりの中に、仲間と向き合ってきた想いも込められていた。
ビスターレ、ビスターレ、追い込む
この仲間と登り、降りる過程の中で、さまざまな葛藤
そして、仲間への小さな気配りの数々
この報告の裏には想像以上の学びがあったことを
自信を持ってみんなの前に立ち、報告する
玉井さんの姿から感じた
【山は登るだけじゃない】
三番目は、ひろえさんこと高頭さん。
「大人になるのは楽しいよ」
「世界はもっと広いよ」
親として、一人の女性として、挑戦することの大切さ、楽しむことの大切さを子どもたちへ。
到達した山頂で、メッセージを込める。未来へのそんな想いを胸に込めて。
カラパタールの最高到達点へ、言葉にはできない感動と、自分のペースを大事に、仲間の力を感じてたどり着いた場所。
充実感を感じた時間も短く下山。山は登っても誰もおろしてはくれない。
自分たちの足で来た道を降りる旅が登頂した瞬間から始まる。
そして、仲間たちの元へ。
仲間との繋がりを感じる、そして、空気の薄い世界から、空気の多い世界に
その時に脳裏に浮かんだ言葉。
”酸素があればなんでもできる”
当たり前が当たり前でない世界。
何を感じるか、とても大事なこと。
山はいろんなことを教えてくれる。
そして、その山を大切にする人たちの世界も。
【すべては偶然であり、必然である】
四番目は、ばくさんこと園田さん。
ヒマラヤに足を踏み入れてから2年。
これまでの道のり、一歩一歩を失敗も含めて
学びから修正し、そして挑戦し続ける。
今年の2月には、今までで厳しい経験をする。
その苦しかった経験を学びにかえ
目標に胸に抱えて迎えた55歳、5550mに登ることを実現した。
ただの無謀な挑戦ではなく、偶然であった人、出会った場所
その過程で起こった出来事に向き合い続ければ
いつか想い描いた世界は実現する
ただし、その時に問われるのは、
『生き切る覚悟はあるのか?』
単なる無謀な挑戦ではない。
生き切る覚悟を持って登り
時に、自分の命を守るために降りる覚悟。
それを持つことが大事である。
生き切る覚悟を持ち続けるために大事なことは3つ。
『冒険・刺激・発見』
があることで生きる力になる。それを大事にして行きたい。
【身近な人こそ、応援者になる】
五番目は、大谷地長の学生時代のザイルパートナーの大木さん。
大学生時代、山の中で出会った偶然の出逢い
その場所にいた人たちの当たり前が夢に変わる
それは、いつしか自分の夢になる。
人生には、時に夢を諦め選択することも必要である。
その選択をしたからこそ。
時を超え、夢の実現を応援してくれる人と共にいることができる。
大切な人からの言葉
『永年の夢が叶うわね!』
そんな言葉を受け取り人生の目標をもち、準備すること
それを積み重ねることで、心に秘めた想いは実現する。
そして、長年の関係性が力になり、夢に描いた場所に共に立つことで
心に打つものに変わった。
ただその想いも準備は重要である。
ヒマラヤの世界は、雄大な世界である。
一方で、過酷な世界である。
それと同時に、観光地化されていた。
その影響は空気に現れている。
今はヤクの排泄物などが登山道には溢れ、粉塵としてまっている。
これは日本での登山とは異なる世界。
その意味は、体力、装備などの準備だけでなく、
より慎重な体調管理は必須であることを物語っていた。
現地で30数年前から診療をしている日本人医師との出逢い
その行為は、心から寄り添い、心の中に残った旅路
その経験を糧に、これらかもステキな仲間たちと挑戦したい。
そんな想いが伝わってきた。
【仲間の支えがあってこそ】
六番目は、タカタカこと高橋さん。
漠然とした憧れが偶然の出逢い、行動した積み上げが夢に変わる。
栗城さん、三浦さんとの出会いが、還暦という節目に
『世界一を見たい』
そんな想いにつながる。
それから、少しずつ何度かヒマラヤに足を運び
時間をかけ準備を進める。
それでも準備不足を感じながらも必ずみれる
そんな想いがあった。
やっと自分の目で見たヒマラヤの世界。
それは感動的で、今でも心に残っている。
ただそこまで甘い世界ではなかった。
極限の世界を歩くことの楽しさを感じながら
突然、訪れた下山の言葉。
現実を受け止める難しさ
ただそれ以上に、生きて帰ることの大事さを実感。
仲間への感謝を込めて、言葉にする
——————————
ただ生きる
~谷川俊太郎~
——————————
立てなくなってはじめて学ぶ
立つことの複雑さ
立つことの不思議
重力のむごさ優しさ
支えられてはじめて気づく
一歩の重み 一歩の喜び
支えてくれる手のぬくみ
独りではないと知る安らぎ
ただ立っていること
ふるさとの星の上に
ただ歩くこと 陽をあびて
ただ生きること 今日を
ひとつのいのちであること
人とともに 鳥やけものとともに
草木とともに 星々とともに
息深く 息長く
ただいのちであることの
そのありがたさに へりくだる
【想いを果たす、そして、これから】
七番目は、ミッキーこと竹内さん。
このプロジェクトの始まりは、エベレストビューの宮原社長との日本での出逢い。
そして、エベレストビューに行くという約束。
そんな話を大谷体隊長に話した瞬間からはじまる。
これまで一度も体調を崩したことがなかった。
5400mの経験もあったが、経験が通用しなかった。
想い描いたエベレストベースキャンプに到達。
そこから想像を超える苦しさがまっていた。
3歩進んでは休むの繰り返し、無事にその日の宿に到着。
血中酸素濃度を測るが測れない。
おぼろげな記憶。
何度か、挑戦するが低い状態が続く
すぐに酸素吸入をする
現地にいる仲間、山小屋のスタッフ、大谷隊長、ツアー会社社長
すべて想いを持った人たちの献身的な、柔軟なサポート
奇跡なタイミングでヘリが手配でき、天候変化の隙間をぬって無事に下山。
高山病の一番の薬は
下山が一番
それは体が本当に証明していた。
カトマンズに降りた時には、すぐに元気になっていた。
レスキューヘリを待つ時間、改めて自分に気持ちを問いた
『またこの場所に来れるのだろうか?』
それからの落ち着いた時間の中で
人には、ときにできることに限界はあることを実感する
『若い子を応援する』
自分に限られた時間の中で何をするか
そして、大きな決断。それは。。。
【すべてはうっかり言ったことから始まった】
最後は、大谷隊長。
うっかり言ったことから始まった
いつの間にか、隊長と自然と呼ばれるようになっていく。
そして、現地で仲間と過ごす中で
尊敬する隊長、高橋好輝さんとの酒を飲んでいた席での言葉が想い浮かんだ。
こんな問いをもらった。
『隊長の仕事って何だと思うか?』
それは、
『頂上に行かせることが仕事ではない。
ロク袋に入れないで下ろすことが仕事』
※ロク袋とは、死体を入れる袋のこと
『全員を無事に下山させること』
それが隊長の仕事。
※ヒマラヤ登山について確固たる信念と考え方をもつカモシカ同人のご意見番 高橋好輝さん
日本ヒマラヤ協会インタビュー記事より
※日本ヒマラヤ協会ホームページ
そのことに気づいてから、感情ではなく、冷静に判断していった。
無事にみんなを下山させた後
それから出会った世界。
そこは、富士山の上にある標高3800mにある天空の学校。
その村から往復6時間の場所に
ミラレパが修行した4000mに洞窟がある
そこでチベットから山を越え亡命し
その洞窟で1年半修行した国籍を持たない修行僧と出会う
何より驚いたのは
その村人に往復6時間かけて
毎日食事を届けていることに衝撃を受けたのだ
それはこの場所を訪れたエベレストの世界との違い
クラフトビール、シナモンロールがあった世界との大きな違い
改めて冷静にヒマラヤの世界を見渡すと
共存共栄する世界
絶景のあるところに必ずストゥーパ(仏塔)がある
絶対的なものに対する祈り・感謝がある場所なのだ
その世界に触れること、そこに営みを持つ人たちを人生の後半は、応援していきたい
最後に
ここに紹介したことは皆さんが経験し、語ったことのほんの一部。それは、これ以上に言葉では語れない一人一人の感情、葛藤。
それがこの2時間半の中に込めれていたのだ。
みんなの話を聞きながら、気づいたことがある。
一人の仲間として、一緒に行くことができなかった悔しさが心のどこかにあった
でも、病というものを通して、当たり前が当たり前でのない世界を歩むことで
共に登っていたのかもしれない。
そんなことに気づいた。
1年前に出逢い、全員が無事にこうして
日本で笑顔で再会できたこと
それは、すべての関わった人たちの力
それだけでなく
絶対的なものに対する祈り・感謝があるからこそ
ここに集えたのかもしれない。最後に
『雄大な自然そのものが、私たちがイキイキと人生を生きるための最高のガイド』
だと思った時間である。
レポート: 吉田